津村記久子と私については出逢ったと表現したい。
好きで好きで色んな人へ彼女の書く小説の良さを伝えたいというのに私のつたない文では読んでみよう!と思う人はいないと思っているのでこれは自分の為の記録として書いている。
読み終わりの新鮮な気持ちに難しい考察など要らなそうなので張り切って書こう。
津村記久子とは私の人生に於いて寄り添って私の事を肯定してくれて彩ってくれる素晴らしい小説家である。
出逢ったのは本を読む気分になった時にエヴリシングフロウズを本屋で見て面白そう、と思った事である。
今調べたら刊行が2014年との事でまだ10年も経ってない事に驚きだ。
図書館で予約をしたが新刊だったので何人か予約待ちで他の本を借りた。これがワーカーズダイジェストだったと思う。今でも好きな作品である。ズブズブと嵌っていって全ての本を図書館で借りて読んだ。
何度か出てくる出来事はきっと作者の身に起こったんだろうと思った。突拍子の無い設定のような、でも決して無いとは言い切れない、日常の中の非日常、闇、屈折した人の前を向く姿、そして小説には一貫して各々の正義があった。正義といったら大げさなのだけど、信念とか、そういった類のもの。あぁ今すぐ類義語辞典を引きたいがこれをしないのが私の正義。
とっても前置き長くなったが津村記久子の新刊「つまらない住宅地のすべての家」の読後の新鮮な感想
一章毎に視点が変わりフルネーム出してくれないので最初の家の配置と住人が載っているページを見ながら読み進めていた。
登場人物が多すぎる小説は名前に関連性があったりするのだけどこれは分からなかったので女史がよくみるスポーツ選手の名前だろうかと思う。また調べようと思うのだけど珍しい苗字が無いので分かりづらい。
日常で急に事件が起きてしまうのがthe、津村記久子 そう思いませんこと?
多分事件を起こす人の特徴について揶揄しているたくさんの人へ一石投じたかったのかと思った。
それぞれの布宮エリザが日常の鬱屈から起こる間違いを止めているのかもしれない。
犯罪者が出てくるのは初めてな気がするのだけど、新鮮なキャラだった。
何でそんなポジティブなのって笑っちゃった。でもそこにはそれなりの正義が宿っている。
私が津村記久子の小説を好むのはハッピーじゃなきゃエンドじゃない(byオームプラカーシュマキージャー)を体現しているので。
大阪の人だから…ではないが、オチをつける。締め括りが最高なところが好き。
絶対に希望がある。例え罪を犯してしまって服役している人に対してもそうだった。
私も昔は職場の人と話す事が嫌いで、大阪に来て雑談というものを覚えた。
天気の話と野菜の価格とテレビの話で大体埋まっているけど…。
きっと知らない部分が一番面白かったりするんだろうな。
友人にも恋人にならなくとも出会っていきたいと思った。